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凄い防音室

従来一律17%の税金が課されていた株式の配当金・売買益および投信の分配金・売買益に関して、政府は平成巧年にこれらを17%に引き下げる、いわゆる軽減税率の適用を時限立法として決定した。
この特例をめぐっては期限切れを前に賛否両論が飛び交い、結果的に1年間延長することで決着を見たが、ここでとりあげたいのは、配当に関する二重課税の問題が全く放置されていることである。 企業は税引き後の利益から株主に対して配当を行う。
税引き前の利益が100億円であれば、その利益に対する法人税を仮に17%とすれば判億円の税金を支払った後の潔ュ円のなかから配当を支払う。 利益の17%を株主還元しようとする企業は、税前であればV億円の配当を支払うことになるが、税引き後であればそれが6億円になってしまう。
株主から見れば、すでに企業が税金を支払った後の利益を得ているのである。 配当課税は、さらに株主からも税金を徴収する、という仕組みである。
政府は、同じ利益源泉に対して法人税と所得税という形で2度課税していることになる。 ちなみに銀行預金の場合は、銀行は利息をコストとして損金扱いするため、二重課税の問題は発生しない。
したがって、銀行預金と株式配当を同列に議論することはできないのである。 株価対策として株主を優遇する措置は全く必要ないが、論理的でない税制は撤廃すべきであろう。
税制論議の際にこうした指摘が出てこないのは、なんとも摩訓不思議で日本の制度設計力の脆弱さは、他にも枚挙に暇がない。 2007年に鳴り物入りで導入された金融商品取引法も、あまりに厳しい店頭規制で金融ビジネスや投資の拡大傾向にブレーキをかけることになった。

内部統制強化の観点から米国から直輸入したJSOx法も、上場企業に必要以上のコストを要求しているとの批判が強い。 また、世論を過剰意識したような銀行、証券、保険業界への厳しい当局検査は魔女狩りとも郷愉きれており、検査姿勢のあり方が問われ続けている。
金利の意味を熟考しないで消費者金融のビジネス・モデルを壊したことも、世論におもねったところがある。 性急に決定した感のある日本政策投資銀行の民営化なども、十分な議論が尽くされたとは思えない。
葵に懲りて桧を吹くという対応、金融は民間ビジネスだという思い込み、投資家やユーザーが損するのはすべて業者の責任という発想など、日本の金融制度設計には、行政や世論における金融リテラシーや現場感覚そして金融史観それぞれの欠如が反映されていると思わざるをえない部分が少なくない。 その結果、日本の金融力が諸外国に比べて急低下しているのが現状であろう。
民間の金融経営力が弱体化しているのも事実であるが、国家が金融競争力を低下させる方向に重力をかけているなかで民間の力に期待するというのは、論理矛盾以外の何物でもなかろう。 国際的に金融ビジネスを展開する大手銀行に、自己資本比率という共通のルールが適用されたのは、スイスのバーゼルにおいて主要各国の銀行監督当局が合意した1988年のことである。
「バーゼル合意」と呼ばれるこの取り決めは、国際金融システムの安定性・健全性、そして競争上の公平性を維持することが目的とされた。 この規制を定めた B 銀行監督委員会が、BISの本部に同居していることから、BIS規制と呼ばれることが多い。
罰則規定はないものの、金融の標準的ルールとして合意以来約加年間で、その地位は不動のものとなった。 その規制は、当初は資本に対する信用リスク量の上限を定めるものであったが、1996年には市場リスクもその規制対象になり、さらに2003年にはオペレーショナル・リスクを加味した新規制へと展開されている。
リスク量の規定に関しては、かなり高度な技術論に振り回され始めた印象も否めず、本来のシステム・リスク回避という実務的理念からやや外れて金融工学などの理論家による実践的主戦場になりつつあるようにも見える。 このBIS規制の導入経緯に関しては、当時国際金融市場で旋風を巻き起こし始めた邦銀に対するアングロ・サクソンによるバッシングであったとの見方には一理ある。
だが、それだけが目的とも言い切れず、1970年代に発生した H銀行や F銀行の破綻、1984年の K銀行の破綻など、欧米大手銀行の破綻に対して一国の金融監督だけでは十分な対応ができないとの認識が、規制導入への議論の土壌にあったことも事実であろう。 銀行破綻リスクへの対応の限界でBIS規制導入の際には、まず国際金融の鍵を握る英米の金融当局が合意した。

そしてこの規制によって最も大きな影響を受ける日本を説得するにあたり、猛反する日本を「株式含み益の17%を資本に組み入れる」という妥協で合意に持ち込み、その後ドイツなど他の主要国の合意を取り付けることになった。 この規制導入が、日本の金融にとって一方的に不利な展開となったことは周知のとおりである。
さらに国内基準銀行に対しても大蔵省がこの規制を準用したことが、地方銀行の苦境を招くことになった。 たしかに、当時の邦銀の資本力の乏しさを見れば、BIS規制の受容はやむをえない局面もあったが、本質的な問題は、株式の含み益算入で安堵した邦銀に資本増強への危機感が乏しかったことに尽きるだろう。
BIS規制は金融システムにとって必要不可欠なものなのかどうか、一歩引いてその存在意義を疑ってみることも必要だ。 そもそも各国にはそれぞれの経済社会の歴史的な重みがあり、金融の土壌は経済史を反映している。
グローバリゼーションの名の下に、全ての価値観を共有させることは難しい。 BIS規制は、当時の日本の銀行における貧弱な資本力を指摘したという意味では正しかったとしても、現在それを引き続き金科玉条のごとく遵守する必要があるとは限らない。
まして地方銀行となれば、なおさらである。 この規制を主導してきた米国で、大手銀行などが信用リスク計測方法に反発しBIS規制の進展にブレーキをかけようとしたのは、このルールの存在意義がそれほど絶対的なものでないことを示している。
また、2007年に発覚した欧米銀行による証券化商品運用スキームは、ある意味でBIS規制の抜け穴を利用したものであり、実質的にはBIS規制など骨抜きにされていたのである。 また、規制の枠組み外にあるヘッジファンドやPEファンドが急拡大している現状、銀行のみを縛るBIS規制の効果が薄れているのも事実である。
ノルディックや柔道などのスポーツ界でもルール変更に振り回されることの多い日本は、金融においても同じような目に遭っている。 自己資本比率規制は重要な金融ルールであり、その効果まで否定するのは間違いであるが、方法論に関する議論が国内外で不十分であることは認めざるをえないだろう。
既存の制度にほころびが見え始めている今、バーゼル委員会においてより柔軟性のある自主ルールを認めるような軌道修正を主張することも、日本にとって必要かつ重要な政策課題ではないだろうか。 これまで描写してきた金融史のなかでもわかるとおり、金本位制と並んで基軸通貨制は国際金融の大きな要である。
現在のドルが、米国経済の規模や成長力を反映して国際金融体制のメインテナンスに大きな役割を担っていることは、反米主義を標榛する人々も否定することはできないだろう。

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